ラースと、その彼女』

物静かな男が恋した女性が等身大のリアルドールという奇想天外な設定ながらも、映画全体を包み込む優しさと心温まるストーリーは実際に世界のどこかで起きていてもおかしくないリアルな温かみがありました. 本当に地味な映画なんですが、こういう作品がアカデミー候補になるっていうのが映画ファンとしては実に嬉しく思えましたよ. オープニングからとにかく物静かでほとんどしゃべらないラース. 町のみんなに慕われるほど優しい性格なのに、女性への免疫がないのかとにかくいつも一人きり. そんな彼がリアルドールビアンカを自宅に招いてからは、兄夫婦が対応に戸惑っても気に留めず、まるで初めて彼女が出来た高校生のようにはしゃぐ、しゃべる、そして笑顔を見せる姿は実に面白かったです. しかも兄夫婦を始めてとして町のみんながラースの話に付き合い、そしてビアンカも受け入れていく様も実に心温まるものでした. 普通に考えたら「等身大のリアルドールが彼女なんです」という男に誰も見向きもしないものなんですけど、この映画はオープニングでのラースの人物像の描き方・見せ方が実に巧いので、町の人が「ラースだから」こそ彼の話を、そしてビアンカを受け入れていくんですよね. 本当に効果的なオープニングでしたよ. そしてこの映画を見て思ったこと. それは「優しさ」とは自分のことよりも他人のことを先に考えてあげること、「偏見」とは自分が無知であるからしてしまうことだということです. というのも自己表現が苦手なラースは多分ビアンカというファクターを通して自分を表現していただけなんだと思うのです. 人間誰だって自分を表現するために、人間関係を構築するためにいろんな「潤滑剤」を使いますよね. それが映画の話や音楽の好みなら受け入れる人は多いのに、アニメの話やこの映画のように人形となると拒絶する人が多いのが今の世の中. 普通に考えたら個性が云々と言われているのなら潤滑剤を指定するのはおかしな話. 要はその潤滑剤について自分が知ろうとしないから拒絶するだけだと私は思うのですよ. だからこそ自分のことよりも相手のことをちょっと優先して考えるだけで、相手の話を聞こうと思うだけで、人は誰でも自然と優しくなれるのではないでしょうか. この映画でもラースのことを優先して考えてくれる兄嫁のカリンと、実の兄なのに当初は自分のことばかり気にしていたガスが対照的に描かれていたのも、そういうことではないかと思いましたよ. 『手紙』 でもありましたが、人は誰でも自分の判断で他人を決め付けてしまうものです. でも自分の浅はかな知識だけで他人を勝手に決め付けてしまうのもやっぱりおかしな話です. ラースは物静かですけど、暗い性格の男ではありません. テディベアに心臓マッサージと人工呼吸をしてくれる優しい心の持ち主です. そんな彼がビアンカというファクターを通して彼のペースで自己表現をしようとしているのなら、それを受け入れてあげるのが人の優しさというものではないでしょうか. ミズノ サッカースパイク激安 ビアンカに就職口を紹介してくれるのも、ボランティア活動に参加してもらうのも、彼女の葬式にみんなが参列してくれるのも、「ラースだからこそ」と思える優しさの現われなんだと思います. そして「少し歩こうか? 」というラースの最後のセリフもいいですよね. ゆっくりと前へ進もうとするその姿. 奇しくもラースを口説くために焦っていたマーゴにも通じるような、心温まる言葉でしたよ. 深夜らじお@の映画館 はチョン・ジヒョンちゃんの等身大人形ならほしいです.