ノウイング』これノウ

ということで、本田さんの発言の前に、野田総理の写真など. ディヴィ夫人が激高しておりますが. . . 私は TVや 新聞を見て 驚きました. 先日 ウラジオストクにて行われた APEC首脳会議. その会議に出席した 野田首相は、 李 明博大統領を見るなり、 笑顔で近づき 握手を交わしたのです. 日本をあなどり、天皇陛下に対して 暴言を吐くという 非礼な行為を行った 李 明博大統領に対し、 笑顔で 握手を求めるとは 何ということでしょうか! ※ ニコニコチャンネル さんより 尖閣で中国が引き、石原さんも降りたところで手打ちとなり、まあ竹島のほうは目をつぶっといてくれや、という日中間の流れの中では、冒頭写真の笑顔の握手はストーリーとしては正解なんでしょう. というか、これが彼らの「ホントウノトコロ」だったとしたら俺たち国民は踊らされてるよなあ. ただ、相手に対して礼を尽くすことは大変重要でありまして、デヴィさんも現役時代だったら理解するところだと思います. と、両首相の笑顔の裏で、先週の本田さん竹島発言が熱すぎたので掲載に踏み切りたいと思います. 「26歳が見たニッポン」 サッカー日本代表MF 本田圭佑(26=CSKAモスクワ) 海外に出たら、日本は本当にいい国だとあら ためて思う. それと同時に思うのは 「これを築いたのは誰なんだ? 」ということ. オレたちではない. こんな裕福な今日(こんにち)の日本があるのは、先代の人たちの頑張りのおかげだと思っている. それなのに責任のなすり合いが、どの場面どの分野でも繰り広げられているように見える. 海外から見ると、より一層、強くそう感じる . オレは愛国心というのか、そういう気持ちが強い. 例えば、いい悪いは別にして、この間のオリンピックの竹島の問題がある. 韓国の選手が試合後にボードを持った. いい悪いは別として客観的に見たら、 彼は韓国を愛しているんだな 、と思った. オレは日本を愛している. もしかしたら同じ状況になれば、同じように行動したかもしれない. 勝ち負けという観点からすると、 韓国人が韓国を愛する気持ちに、日本人は負けているんじゃないか. これは政治的な問題ではない. 単に自分の国を愛しているのか? という気持ちをくらべると、日本は韓国より劣ってるんじゃないか、という気持ちにさせられた. 政治といえば、日本に帰った時、国会中継を よく見る. 見ていると、話がまったく進まない. リーダーがいない. そろそろオレたちの世代が、本物が評価される時代をちゃんと作り出すべきだと思う. オレがいう 本物とは政治家のこと であったりする. 日本でのヒーローはアイドルやバラエティー番組のタレントという形になっているけど、そういうアイドル文化は日本、厳密にいうとアジア圏内くらい. オレがいいたいのは、日本では 日本の政治家こそがスターであるべき だってこと. 日本は芸能人であったり影響力のある人でも 、政治家でなければ、政治のことをしゃべるとたたかれる. でも、そうではないんじゃないか. オレも日本国民. 政治のことを語る資格があるはず. 日本をこうしたい 、と思うことをしゃべる. それが真剣な発言だったら、足を引っ張るんじゃなく、 議論する環境 をみんなで前を向いて作っていくべきなんじゃないか. もちろんオレはサッカー選手. サッカー選手としてピッチの上で結果を出す、それが今の自分に求められていること. そこはもう最低条件だと感じている. 何を言おうと、オレが試合に勝たないと、オレが点を取らないと、はっきり言って説得力はなくなる. そうやって生きてきた. 誰にでも意見を言う権利があるということを、伝えておきたい. 「サッカー選手で、日本代表の本田だから言える」のではない. オレたちの世代も、みんなどんどん意見を言ってほしい. そして、みんなが聞く耳を持ってほしい. オレは今、そう言いたい. ※ nikkansports.com さんより(部分略) 本田△. . . やっぱり世界に出ると、日本のいいところも悪いところも見えて、「もっとこうだったらいいのに. 」という思いは強くなるものなのかもしれません. 自分自身も結果を出しつつ、国に対して意見してゆく. 政治家がヒーローであることを祈りつつ、でも民間と言うか、俺たちがさ! という意見、また別方向から. お仕事でお世話になった会社の太田英基せんせいがバックパックの旅から7月に戻りました. 彼も世界50か国を2年かけて周りました. 世界50カ国を旅しながら、世界中の"リアル"に触れて、 世界中の家電量販店やスーパーマーケットや、時にはスラム街の小売店などにも足を運んできました. その中で、僕が思うグローバル競争における日本の課題は、 グローバルに闘える人材が不足 していることです. 旅先で色んな場面に出逢ったり、現地の人の話を聞くにつれて、グローバル市場において、 日本はモノ(技術力・商品サービス)ではなく、ヒト(営業・マーケティング)で負けている のではないかと考えるようになりました. 特に韓国人の勢いは本当に凄いものを感じる. どこの国にいっても日本人より韓国人のほうが多くいたりすることが多い. 大学への留学生もアメリカはもちろん、アジアでも韓国人は多い. 中南米ではヒュンダイ製の車を見かけることが非常に多かった. 他にも世界最高の高層ビル、ドバイにあるブルジュ・ハリファ(828メートル)もサムスンがつくっている. 衝撃的だったのは アブダビ原子力発電所建設の案件を当時、原子力発電所建設未経験のサムスンが受注し、それをほぼ東芝に下請けに出した という話でした. 技術ではないところで日本は負けたんだなと. それでは海外に出ている日本企業や日本人が全然駄目なのか? そういうわけでもありません. 優秀な人もたくさん海外に出ています. ただ、まだまだ足りないのです. 量的に圧倒的に負けているのです. 例えば、その土地に 日本人が10人いると、韓国人は50人いて、中国人が100人いたり するわけです. 僕は日本人ほど仕事熱心で頑張れる人達を知りません. ただ、その仕事能力を海外で発揮するために必要な語学力が世界水準に遠いのと、海外に出ている人材量が足りていないのが大きな課題なのだと. 逆に言えば、そこを克服していくことができれば…! ! ! ※ アドタイ さんより(部分略) 自分も海外を旅していた時に思ったのは、未来の地球の話やビジネスの話をするときに、やっぱり自国の歴史や自国ピーアールができないと、話が進まないし舐められるというところでした. そういった意味で、語学力はもちろんなんだけれども、やはり先人たちの努力の歴史や、愛国心がないと、世界で話なんてできないよなと. そのうえで、やはり誰もがヒーローであり、政治家でないといけないよな、というところなのではないかと思います. 「誇りを持って、自分や自国を語ることができるか」. 非常におおざっぱに言うとですけれども. もちろん、自分の仕事はきっちり進めながら. さあ、今日も闘いが始まります. まずは、そこから. ついにこんな映画が作られてしまうような時代になってしまったんですね. 目を覆いたくなるようなリアルで生々しすぎるほどにまで技術進化した映像と、退化する時代を反映したかのような未来があるようでないような脚本. ある意味ホラー映画よりも本当に怖い映画. ですから心臓の弱い方は是非見ないことをオススメします. これまで「地球消滅」の危機を描いた作品は数あれど、どの作品も最後は24時間マラソンをしなくても愛が地球を救うというオチでした. この映画に関してもそうなるのかな? と思いきや、1959年を描いたOPからどこか 『シックス・センス』 のようなオカルト的な怖い雰囲気. 時代が現代に移り、あの阪神大震災さえ予言されていたという数字の羅列を主人公が解き明かすくだりからは徐々にこの古典的恐怖がいい感じになり、これは意外と面白いかも? と思えてきました. ところがこの映画の本当の恐怖はここからでした. まず予告編でも見た間近での飛行機墜落のシーン. まぁこれがリアルな圧迫感を持って描かれているので、めちゃ怖い. 思わず2001年9月11日に見たあの生中継を思い出してしまうくらいのリアルさ、そしてその後惨劇の現場で次々と起こる爆発や火達磨で命を落としていく人を描く、恐ろしいまでの生々しさ. 正直寒気がするくらい久しぶりに縮こまりましたよ. さらにもっと怖かったのが地下鉄構内での悲惨な事故. これは本当に目を覆いたくなるほどにリアルで生々しすぎて怖い! いや怖すぎる! 脱線した車両が駅に停まっている車両にぶつかるまでならまだしも、その後ホームにいる人たちを次々と巻き込み、まるで巨大な鉄の猛獣かのように襲い掛かってくる映像は圧巻を通り過ぎて恐怖という一言. 特に運転席から人々を巻き込んでいく様子が見れてしまうカメラワークや、ホームに乗り上げた暴走車両が階段付近まで勢いよく迫ってくる圧迫感は、まさに想像の域を完全に超えた事故に遭遇した者にしか再現できないような映像でした. もうこの2シーンだけで全身が震え上がりましたよ. ただその後の展開が・・・なんですよね. というか映画の雰囲気がキアヌ・リーヴスの あの映画 に似てきたなぁ~と思えばそんな展開になりますし、そもそも地球が本当に滅亡すると大風呂敷を広げてしまった以上、もうそういう展開に頼るしかないのがカンタンに読めてしまうのも悲しいところ. ニコラス・ケイジも『未知との遭遇』のリチャード・ドレイファスみたいに驚いている場合とちゃいまっせ! と思ったり、結局キリスト教世界は困ったらノアの箱舟かい! と思ったりする一方で、救世主が現れない映画というのも淋しいもんだなぁ~と思いましたよ. ラストシーンも宇宙船の数から未来を託された子供たちは他にもたくさんいるみたいでしたけれど、歴史というのは先人から受け継いだものを時代に合うように加工しながら次世代へと手渡すもの. なのにまるでこの混沌とした世界を一度リセットしてから純粋な子供たちに地球の未来を託そうという脚本は淋しいですし、こんな脚本が書かれてしまう現代も淋しすぎます. ラストでのスーパーフレアにより消滅していくNYの映像も凄かっただけに、こんな凄い映像が作れる時代になったと映画ファンとして純粋に嬉しくなる一方で、せめて脚本だけでも救いのあるものにはしてほしかったですよ. でないと今期の阪神タイガースと一緒で、救いがないってどこまでも悲しいだけですからね. 深夜らじお@の映画館 は地下鉄のホームがちょっと苦手です.